アレックス・ムーア氏(Alex Moore)
(1901–1991)

 ソシアルダンスに於ける世界的に有名なダンサーであると同時に、優れたジャッジであり、世界中を飛び回る情熱ある指導者でした。何よりも彼の名を不滅の物にしたのは、ソシアルダンスのバイブルとも言うべき著書「ボールルーム・ダンシング」です。この本は全てのクラスのダンサーを対象としたモダンボールルームダンスの教科書で、基礎から、クイックステップ、ワルツ、フォックストロット、タンゴなど、足型図を交えてわかりやすく解説しています。
 この著書によって、世界のダンサーは正しく目指す方向を見出し、無駄のない日々のトレーニングや指導に役立てることができるようになりました。

 現代のソシアルダンスを、基礎から揺るぎないものにした、第一人者です。

■来歴

 アレックス・ムーア(1901–1991)は、英国エセックス州の生まれ。
父親もまたソシアルダンスの先生で、アレックスは6歳からダンスを本格的に始めました。青年時代は、ゴルフ(ハンデ6)、ビリヤード(全英選手権大会でプレイ)、そしてテニスと、他のスポーツにも秀でていました。
 ダンス界でアレックス・ムーアの名が最初に記録されたのは1923年、プリンス・ギャラリーに於いてブルースを踊った時でした。

 20歳で会計事務所に就職しますが、後に年間£500の給料でプリンス・ダンスホールのマネージャーになります。会計事務所の5年分の給料より多かったそうですから、若くしてダンススキルとマネージメントの両方を認められていたようです。

 1926年には姉のエイビスと組んで世界選手権で2位となる一方で、エイビスと共にプリンス・ダンスホールで教習所を始めます。ここでパット・キルパトリックという優れた、そして相性の良いパートナーに出会います。

 姉のエイビスの結婚引退を機に、パット・キルパトリックとカップルになって活躍。パットはダンスと教育の為にアレックスと共に、世界を駆け巡ります。(アレックスとパットとは1947年に結婚)やがてアレックスは、後のISTDとなる「社交ダンスのインターナショナル会議」の議長となり、ISTD設立後は会長のポストに就きます。

 1932年からアレックスは、ダンサー及びインストラクターの心得とダンス・チャンピオンシップに関するニュースを「Alex Moore Monthly Letter Service(社交ダンスについての定期刊行物)」を刊行します。いくつかの言語に翻訳され、約40カ国で購読されました。彼の1936冊もの「Ballroom Technique book」は、国際標準となってISTDのベースにもなっています。

彼の考案した「図説のチャート・フォーマット」は、今日まで半世紀以上も私達が使っています。